fc2ブログ

黒猫時々パズドラ ラノベ好きが綴るゲームブログ

Top Page › 日々の出来事 › 何となく…
2018-09-10 (Mon) 22:30

何となく…

人生は運ゲーだって開き直るの大嫌い粗忽孔明です。

こんなツイートを少し前にしたのですが、そもそもネット界にはびこる人生は運ゲーって風潮がざっくばらんに言うと気に入らないのですよ。

そりゃ初期パラメータは違う。
衣食住の保証されていない環境に産まれるか日本のような裕福な国に産まれるかなんて最たるもの。
身体にハンディキャップを負ってる方もいるし、通り魔やテロや事故のように明らかに本人に過失が無いのに人生が一転して真っ暗になるようなこともある。
そういう方たちがそのような気持ちになること自体まで責めようとは思わない。

日本に産まれネットでそういうことを呟く人間の大半がそういうやむを得ない人のようには思えないんだよな。
自分の境遇ではなく稀にある不幸な事例で人生は運ゲーだっていう。

国立大学の授業料免除はそれなりの収入の家庭であっても適用されるし無利子奨学金もある。
いわゆるキャリアとして評価される資格試験は多種多様で遊び惚けている学生が多い中で1つ2つでも取って差をつけることは容易。
これは社会人になっても一緒。
中途入社の敷居も随分低くなって履歴書に2.3社の職歴がある30歳ですらある程度の規模の企業の面接にたどり着けるケースも少なくはない。

人生に運ゲーの要素があるのは否定しない。
頑張りやさんの女性が同じ部署の男性社員からしつこく言い寄られ会社は男性社員を処分したものの会社の住所を知られていることの恐怖から泣く泣く仕事を放り出さざるを得なくなったという話も聞いたことはあるし、僕自身理不尽な人事に頭を悩ませたこともある。
だけど大半の人間にとって運ゲー要素は全てではなく結果は日々の行動の積み重ねによってもたらされていると思うんだ。
運ゲーだったら試行回数の暴力で何とでもなるんだけど、すげーなって感心するくらいの試行回数重ねてる人っていないんだよな。

ここまで書いてて思ったのは人生が運ゲーか否かはどうでもよくて運ゲーだと言って開き直ってる人の境遇は概ね運ゲーの結果ではなく自己の行動の結果なんだろうなっていうこと。

まあそんなことを適当に考えてみました。




にほんブログ村

最終更新日 : 2018-09-10

Comment







管理者にだけ表示を許可